› 耳は二つ、口は一つ › メントピ3:うつ友を広げよう2008年03月26日
うつ友の言葉
できないことには理由がる。

うつ友の一人、新垣賢昇さんからこんなメッセージをいただきました。
「やらなけらばならない」ということに対して、
できないときに心が振り回されなくなっている。
「できないこと」には意味があり、
心の赴くままに風のように任せて楽しんでいる自分がいる。
(新垣賢昇「今日のメッセージ2008年3月25日号」)
「できないことには意味がある」という言葉は私の胸を打ちました。
やらねばならないことが「できない」自分を責めたり悔やんだりする
ことがあります。
でも、責めたり、悔やんだりする時間を、なぜ「できないのか?」、
どうすればできるようになるのか?そもそも今するべきことか?
などと考えれば、自分が受け入れるべき結論を
見出せるような気がするのです。
「できないことには意味がある」
この言葉を胸に己と真摯に向き合えば、
その意味を理解し前に進めるでしょう。

うつ友の一人、新垣賢昇さんからこんなメッセージをいただきました。
「やらなけらばならない」ということに対して、
できないときに心が振り回されなくなっている。
「できないこと」には意味があり、
心の赴くままに風のように任せて楽しんでいる自分がいる。
(新垣賢昇「今日のメッセージ2008年3月25日号」)
「できないことには意味がある」という言葉は私の胸を打ちました。
やらねばならないことが「できない」自分を責めたり悔やんだりする
ことがあります。
でも、責めたり、悔やんだりする時間を、なぜ「できないのか?」、
どうすればできるようになるのか?そもそも今するべきことか?
などと考えれば、自分が受け入れるべき結論を
見出せるような気がするのです。
「できないことには意味がある」
この言葉を胸に己と真摯に向き合えば、
その意味を理解し前に進めるでしょう。
2008年01月21日
うつ感謝会
昨日、第一回うつ感謝祭を那覇市首里にある
オーガニックカフェ「NOAH」で開催しました。

集まったのは私の大事なうつ友
新垣賢昇さんと私を含めおよそ4名。
みんなうつと共生しながら
仕事をしている仲間です。
うつがつらかったときのこと。
うつを抱えながら仕事をすることの大変さ
職場の仲間や家族、友人の協力のありがたさ。
いろいろ話し合い、不安を安心にかえ
元気を分かち合える会となりました。
それぞれがうつに感謝できるまでの過程や
今後のうつとの向き合い方、そして経験の共有を
どうすればスムーズにできるかを話し合えましたよ。
今後もこのような「うつ感謝会」を定期的に開き
多く人の人にうつに対する理解が広がれば・・・と
思いますし、うつの当事者はもちろん、その家族の
不安が安心に変わる手助けができればな・・・と思います。
次回のうつ感謝会の日程はこのブログでも紹介しますので
興味のある方はぜひお問い合わせください。
オーガニックカフェ「NOAH」で開催しました。

集まったのは私の大事なうつ友
新垣賢昇さんと私を含めおよそ4名。
みんなうつと共生しながら
仕事をしている仲間です。
うつがつらかったときのこと。
うつを抱えながら仕事をすることの大変さ
職場の仲間や家族、友人の協力のありがたさ。
いろいろ話し合い、不安を安心にかえ
元気を分かち合える会となりました。
それぞれがうつに感謝できるまでの過程や
今後のうつとの向き合い方、そして経験の共有を
どうすればスムーズにできるかを話し合えましたよ。
今後もこのような「うつ感謝会」を定期的に開き
多く人の人にうつに対する理解が広がれば・・・と
思いますし、うつの当事者はもちろん、その家族の
不安が安心に変わる手助けができればな・・・と思います。
次回のうつ感謝会の日程はこのブログでも紹介しますので
興味のある方はぜひお問い合わせください。
2007年12月15日
私のうつ友〜新垣賢昇さん〜取材後記
2007年春、賢昇さんは浦添市役所に復職します。
*私の先輩ですねぇ。

通常、復職はもといたセクションに戻すのが基本だと
言われていますが、賢昇さんは新しいスタートを切りたい。
以前と同じセクションでは同じような悩みを抱えてしまうと
考え、心機一転、新しいセクションでの仕事をスタートさせて
います。
私が始めて賢昇さんを見かけたのは
今年秋のあるシンポジウムでした。
「この人に会って話を聞きたい。」
純粋にそう思い取材をすることに決めました。
しかし、決めたはいいものの、私は当時復職1ヶ月目。
はじめての相手に電話をかけるなんて精神的な負担が
大きく、ずっと悩んでいました。
講演会から5日後。
何日悩んでも、やっぱり賢昇さんの話を聞きたい。
という気持ちが強くなり、電話をするために私は台本を書きました。
「うつと復職の取材をしたいこと。自分もうつであること。」
半日かけて、書いては消し、消しては書きを繰り返しの中
台本を書き上げました。
シンポジウムから7日後。
はじめて会った賢昇さんは言いました。
「僕に電話をかけるの、大変じゃなかったですか?」
私は、その場で泣き崩れてしまいそうでした。
私の辛い気持ちを、苦しい気持ち、そんな中頑張って
アポイントをとったプロセスを、賢昇さんは、私を見た
瞬間に読み取っていたのです。
そのときの嬉しい気持ち、今でも忘れません。
賢昇さんとの取材を通して、私は自信を取り戻す
スタートとなりました。
この取材以降、苦手だった電話も、少しづつかけられるようになり、
本格的な取材復活となりました。
この取材をきっかけに私と賢昇さんは意気投合し
「うつ友達」として現在もいろいろと情報交換をしていますよ。
賢昇さんは精力的にさまざまな場所で講演をされています。
チャンスがあればぜひ講演会に出かけてみて、賢昇さんの
生きたうつ経験談を聞いてくださいね。
*私の先輩ですねぇ。

通常、復職はもといたセクションに戻すのが基本だと
言われていますが、賢昇さんは新しいスタートを切りたい。
以前と同じセクションでは同じような悩みを抱えてしまうと
考え、心機一転、新しいセクションでの仕事をスタートさせて
います。
私が始めて賢昇さんを見かけたのは
今年秋のあるシンポジウムでした。
「この人に会って話を聞きたい。」
純粋にそう思い取材をすることに決めました。
しかし、決めたはいいものの、私は当時復職1ヶ月目。
はじめての相手に電話をかけるなんて精神的な負担が
大きく、ずっと悩んでいました。
講演会から5日後。
何日悩んでも、やっぱり賢昇さんの話を聞きたい。
という気持ちが強くなり、電話をするために私は台本を書きました。
「うつと復職の取材をしたいこと。自分もうつであること。」
半日かけて、書いては消し、消しては書きを繰り返しの中
台本を書き上げました。
シンポジウムから7日後。
はじめて会った賢昇さんは言いました。
「僕に電話をかけるの、大変じゃなかったですか?」
私は、その場で泣き崩れてしまいそうでした。
私の辛い気持ちを、苦しい気持ち、そんな中頑張って
アポイントをとったプロセスを、賢昇さんは、私を見た
瞬間に読み取っていたのです。
そのときの嬉しい気持ち、今でも忘れません。
賢昇さんとの取材を通して、私は自信を取り戻す
スタートとなりました。
この取材以降、苦手だった電話も、少しづつかけられるようになり、
本格的な取材復活となりました。
この取材をきっかけに私と賢昇さんは意気投合し
「うつ友達」として現在もいろいろと情報交換をしていますよ。
賢昇さんは精力的にさまざまな場所で講演をされています。
チャンスがあればぜひ講演会に出かけてみて、賢昇さんの
生きたうつ経験談を聞いてくださいね。
2007年12月15日
私のうつ友〜新垣賢昇さん〜?
「絶望的孤独」の中で苦しむ賢昇さん。
家族や友人、職場の仲間は決して賢昇さんを
責めなかったといいます。
賢昇さんは言います。
「このとき、誰か一人でも責める人がいたら
僕は今ここにいないと思います。」

特に、賢昇さんの奥さんは、心配も不安も決して表には出さず、
いつも自然体で寄り添っていてくれたそうです。
少しづつ元気を取り戻したある日、
自転車で信号待ちをしていると、
突然、両方の目から涙があふれ、声が聴こえたそうです。
「賢昇、大丈夫だよ〜 泣いてもいいんだよ」
それは、自分自身の心の声だと感じたそうです。
その日以降、賢昇さんは、そうした声を聴くたびに、
ノートに書き留めるようになりました。
その後順調に回復をとげた賢昇さん。
人のススメもあって、ノートにまとめた心の声を
一冊の詩集にまとめることにしました。
それが「こころのうた〜うつに感謝」です。
賢昇さんはうつへの気持ちを、
あとがきに綴っています。
『自分は、うつになりました。
そのおかげで、うつに多くの大事なことを気づかせていただきました。
自分は、生かされている存在であること。
家族を大切にすること。本当の人の優しさ、温かさ。
自然を大切にすること。周りの方々を大切にすること。
すべて、身の回りにありながら、気づかなかったことです。
うつよ、本当にありがとう』
家族や友人、職場の仲間は決して賢昇さんを
責めなかったといいます。
賢昇さんは言います。
「このとき、誰か一人でも責める人がいたら
僕は今ここにいないと思います。」

特に、賢昇さんの奥さんは、心配も不安も決して表には出さず、
いつも自然体で寄り添っていてくれたそうです。
少しづつ元気を取り戻したある日、
自転車で信号待ちをしていると、
突然、両方の目から涙があふれ、声が聴こえたそうです。
「賢昇、大丈夫だよ〜 泣いてもいいんだよ」
それは、自分自身の心の声だと感じたそうです。
その日以降、賢昇さんは、そうした声を聴くたびに、
ノートに書き留めるようになりました。
その後順調に回復をとげた賢昇さん。
人のススメもあって、ノートにまとめた心の声を
一冊の詩集にまとめることにしました。
それが「こころのうた〜うつに感謝」です。
賢昇さんはうつへの気持ちを、
あとがきに綴っています。
『自分は、うつになりました。
そのおかげで、うつに多くの大事なことを気づかせていただきました。
自分は、生かされている存在であること。
家族を大切にすること。本当の人の優しさ、温かさ。
自然を大切にすること。周りの方々を大切にすること。
すべて、身の回りにありながら、気づかなかったことです。
うつよ、本当にありがとう』
2007年12月15日
私のうつ友〜新垣賢昇さん〜?
2005年12月、新垣さんは初めてお医者さんを訪れます。

うつ病の診断を受け、
2006年1月からは寝たきりの状態になったそうです。
たまらない孤独感の苦しみに耐えながら、
うつの専門書を開いても、「孤独感」という漢字のたった三文字が、
自分には伝わって来ない。自分の心に響かない・・・
そんな状態だったと話してくれました。
そのときの状況を賢昇さんは
「絶望的孤独」
と表現しています。

うつ病の診断を受け、
2006年1月からは寝たきりの状態になったそうです。
たまらない孤独感の苦しみに耐えながら、
うつの専門書を開いても、「孤独感」という漢字のたった三文字が、
自分には伝わって来ない。自分の心に響かない・・・
そんな状態だったと話してくれました。
そのときの状況を賢昇さんは
「絶望的孤独」
と表現しています。
2007年12月15日
私のうつ友〜新垣賢昇さん〜?
毎日の忙しい仕事の中で
賢昇さんの体に変調が表れます。

*新垣賢昇さん
感情の激しい波、疲れて眠っても目が覚める、
何とも言えない不安感。
「これは、うつだな」・・・と、
自分でも分かっていたそうです。
けれども、お医者さんへ行くことは出来なかったそうです。
・・・うつの専門家である自分が受診してしまったら、
自分自身ではなくなるような気がしたからだといいます。
そんな新垣さんの思い込みを治してくれたのは
意外にも、お嬢さんの不登校問題だったそうです。
お嬢さんの不登校を相談に行くと、
先生は静かに言いました。
「お父さん、お母さん、
この子はまだ、数年しか生きていないんですよ。
この子はまだ、サナギなんです。待ちましょう。」
奥さんもこう言ったそうです。
「学校を一日休んでも半年休んでも、
私たちの子に変わりはないわ」
賢昇さんはその言葉を聞いて
「そうか・・・病院で受診したって、自分は自分なんだ」
と思えるようになったそうです。
賢昇さんの体に変調が表れます。

*新垣賢昇さん
感情の激しい波、疲れて眠っても目が覚める、
何とも言えない不安感。
「これは、うつだな」・・・と、
自分でも分かっていたそうです。
けれども、お医者さんへ行くことは出来なかったそうです。
・・・うつの専門家である自分が受診してしまったら、
自分自身ではなくなるような気がしたからだといいます。
そんな新垣さんの思い込みを治してくれたのは
意外にも、お嬢さんの不登校問題だったそうです。
お嬢さんの不登校を相談に行くと、
先生は静かに言いました。
「お父さん、お母さん、
この子はまだ、数年しか生きていないんですよ。
この子はまだ、サナギなんです。待ちましょう。」
奥さんもこう言ったそうです。
「学校を一日休んでも半年休んでも、
私たちの子に変わりはないわ」
賢昇さんはその言葉を聞いて
「そうか・・・病院で受診したって、自分は自分なんだ」
と思えるようになったそうです。
2007年12月15日
私のうつ友〜新垣賢昇さん〜?
うつとメンタルヘルスの取材をするにあたって、
一番最初に取材を申し込んだのは、浦添市に住む
36歳の保健師、新垣賢昇(あらかき けんしょう)さん。
自らのうつ病体験をもとにした詩集
「こころうた〜うつに感謝〜」の著者であり
「うつに感謝」というエッセイを琉球新報で連載していましたので
ご存知だという方も多いと思います。

*新垣賢昇さん
(すみません。ぴんぼけしています。)
賢昇さんは、浦添市で初めて男性の保健師として
「精神保健」の専門家として、周りの期待を受け奮闘していました。
彼は、小さい頃から、とても責任感が強く、
何でも自分で抱え込むタイプ。
そして、人の評価を生きる支えにする性格だったそうです。
一番最初に取材を申し込んだのは、浦添市に住む
36歳の保健師、新垣賢昇(あらかき けんしょう)さん。
自らのうつ病体験をもとにした詩集
「こころうた〜うつに感謝〜」の著者であり
「うつに感謝」というエッセイを琉球新報で連載していましたので
ご存知だという方も多いと思います。

*新垣賢昇さん
(すみません。ぴんぼけしています。)
賢昇さんは、浦添市で初めて男性の保健師として
「精神保健」の専門家として、周りの期待を受け奮闘していました。
彼は、小さい頃から、とても責任感が強く、
何でも自分で抱え込むタイプ。
そして、人の評価を生きる支えにする性格だったそうです。





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