勝太的2007年ワード
昨日は、我が社がニュースの配信を
受けている共同通信社の
2007年10大ニュース投票用紙の
提出期限でした。
毎年のイベントの一つとはいえ、
この作業をすると1年が終わるのだなぁ
と思うのと同時に、
「この事件は今年だったんだぁと」
記憶力と違い、半比例して増える
我が白髪に思わず
ため息が出てしまいました。
そんな話は置いといて・・・
私は今年1年を象徴する言葉は
「鈍感」だと思います。
あれ?「鈍感力」じゃないの?と
不思議に思う方、鈍感力の提唱者、
渡辺淳一さんは、ある新聞記事で
こう述べていました。
「鈍感と鈍感力は違う。
不正追求に居直る政治家は鈍感。
鈍感力は基本のところでは敏感さや
見識を持ち、その上で能力をさらに
伸ばす推進力、あるいは落ち込まない
ための復元力」
つまり、鈍感力とは、批判や反論に動じない
生きる為の免疫力というわけです。
なので、
あえて私は「鈍感」と使わせていただきます。
不二家、白い恋人、船場吉兆、赤福などの
食品偽装問題。
「消えた年金」に対する社会保険庁の対応。
守屋前次官の異常ともいえる
特定業者からの接待問題。
どれも、法律やルールに「鈍感」になった故の
不祥事です。
もちろん、誰しも、最初は「鈍感」ではなかった
と思います。
最初はちょっとした出来心だったのでしょう。
短期的に利益が得られる。
簡単に済ませられる。
今日の接待を最後に、
明日は手を引こうと決めていた。
でも、やはり、一度得た益や手法は
簡単には切り離せず、
頭ではバレたらヤバい、
罰則を受ける、評判を落とす。
わかっていても、
止められなくなっていたのだと思います。
では人はいつ「鈍感」の一線を越えるか?
倫理観が少しづつ欠如し始め
目の前のお金や利益という誘惑に負けるか、
長期的展望を持って、
信用・信頼を築くという心が打ち勝つかどうか
だと思います。
私たちは「効率化」の大合唱の中で
いつのまにか「長期的展望」という大事な視点まで
そぎ落としてしまったのかもしれません。
客観的評価を数字のみで決めるようになった。
またそれを助長する風潮ができあがってしまった。
その結果、長時間かけて熟成される信用や信頼
果ては伝統にまで「鈍感」になってしまった。
そして、それを守ろうと利益や採算を度外視すると
非難を受けてしまう。出世に響いてしまう。
人も会社も評価は数字や出世。
そういう風潮は一見平等なようで生きづらい。
そして不正が横行する。
世の中にはお金や数字で表せない価値が
いっぱいあるし、そこにこそ価値ある本質が
紛れていることが多いのに・・・。
いつの間にか私たちはそんなことに「鈍感」
になってしまっていないでしょうか?
だからこそ、渡辺淳一さんは、
短期的要素ばかりを見て、非難を繰り返す人
たちに動じない免疫力をつけましょう!
という意味で「鈍感力」という本を
お書きになったのかなぁと思います。
来年は、長期的な展望をもつリーダーが、
国家や企業のリーダーとしてもっともっと
活躍する年になってほしいものです。