一朝入魂(506)
池田なぎささんを偲んで
産業カウンセラーの師の一人であり、
養成講座時代の講師の一人であり、
カウンセラーとしても人としても尊敬し
敬愛してやまない池田なぎささんが急死した。
先週の金曜日のことである。
亡くなる前日まで普通に電話をし
メールのやりとりをしていた。
予想もしない、急な別れだった。
私は、
私は
池田さんがいたからこそ
産業カウンセラーとして頑張ってきた。
困ったとき、
悩んだ時、
カウンセラーとして
ではなく一人の友人として
私や、家内の心配してくれた人だった。
お酒が好きで
一緒に浴びるほど酒も飲んだ。
笑いのツボが一緒で、
お腹が痛くなるまで笑った。
あなたがいたからこそ
私は産業カウンセラー協会を辞めずに続けてきた。
亡くなる前の日だって、
一緒に真剣な話をしたじゃない。
お互いに力をあわせて頑張ろうって
話あったじゃない。
iPhoneの履歴を開けば
すぐにあなたの名前が出てくるぐらい
元気だったじゃない。
メールBOXには、
あなたからもらったメールもある。
52歳でそっちに行くなんて
まだまだ若いよ。
あなたの強い責任感が、
あなたの包むような
大きくて優しい広い心が
これからの沖縄支部には必要なのに・・・
きっと、あなたはその優しさや責任感故に
無理を重ね、倒れてしまったのですね。
先週の月曜日は沖縄の産業カウンセラー黎明期
にご尽力された安里カツ子さんが亡くなったばかり。
そのとき共に悲しみ、
「勝太さん、私たち残された者はカツ子さんが
残してくれた事を大事に共に頑張ろうね」と
励ましあったのに・・・まさかその一週間後に
あなたの葬式で手を合わせているなんて。
あなたの葬儀には本当にたくさんの人が集まりました。
生前のあなたの人徳を物語るお葬式でした。
あなたが歌う「糸」を聴きながら
私は涙をこらえきれず、号泣してしまいました。
あなたが私に頼んだ最後の仕事を引き受ければ良かった
と後悔もしました。
でも、そのやり取りがなければ、
直前まで電話やメールをすることもなかったし
あなたに対して私が全幅の信頼を寄せているということを
伝えることもできなかったでしょう。
今思えば、虫の知らせだったのかもしれません。
そして、私を思い出してくださったことに感謝しています。
なぎささん。
これまで本当にお世話になりました。
今頃、そちらで安里カツ子さんに叱られていると思いますが
どうぞ、この世で走り続けた分、少しお休みください。
そして、これからは温かく私たちを見守ってください。
あなたの強い責任感と優しくて広い心を大事にしながら
あなたの分も学び続けていきたいと思います。
合掌。
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