支那そばを初めて食べたのは、出張で静岡県に行った時のことだ。
系列局の社員が集められ、静岡の温泉宿で缶詰になってイベント
を運営してた時、最終日の飲み会の〆で食べたのが出会いである。
竹定規のように一直線に並んだカウンター。湯気越しに見える店主
の湯切りの姿。お腹はいっぱいなはずなのに、湯気のおかげで
少し湿った醤油の香ばしさは、満腹中枢を見事に破壊。
欲は食を求める。
器の外側が赤、内側が白。ドラマでよくみる屋台のラーメン屋さん
のような器に入った支那そばは、あっさり、さっぱりとした醤油味。
具材はシンプルにネギのみ。
値段は400円弱だったと思う。
アラサーの入り口に差し掛かった当時の私には少し物足りない気も
したが、暴飲暴食後の胃に優しく染み渡る醤油味のそれは、淡白な
ように見えて、実は情深さを隠す…というなんとも大人の優しさを
体現したようなスープであった。
コテコテの脂ギッシュな情熱ガツン系だけではない。
側からそっと優しく寄り添うような優しさが実は本当の優しさだと
気づいた頃だった。
やっと忘れた恋がもう一度はやるかのように、
ある朝突然私の中であの静岡の支那そばが思い出された。
「支那そばが食べたい」
15年間すっかり忘れていたはずなのに、
ある日突然に舌の記憶が呼び覚まされるのである。
人間はなんと身勝手な生き物なのだろう。
でも、この際、そんなのはどうでもいい。
今は支那そばが食べたいのだ。
しかし、沖縄で支那そばなんて食べられるのだろうか?
そういえば昔、親父の勤める会社の近くで「支那そば」
という看板を見たような。。。と思い出した頃には
すでに車のハンドルを握っていた。
高鳴る鼓動と共に、記憶を頼りに与那原三叉路を
西原向けに北上する。
あれ?ない。確かこの辺に・・・やっぱりない。
二度三度同じことを繰り返し、
一度近くのコンビニで記憶を呼び覚ます。
いや、絶対にここだったはずだ。
と、もう一度ハンドルを握りかけて考える。
「とりあえず、ネットで調べてみよう」
なんのことはない。目的の店は今年の初夏に
琉大病院界隈に移転していた。
最初から調べていけばよかった。
「急がば回れ」である。
少し冷静さを取り戻し、与那原から15分ほど車を走らせる。
考えればここは大学時代の通学路。こうやってこの道を通る
のは何年ぶりだろう。旧規格の軽自動車のエンジンをブンブン
回し、頼りない足回りを物ともせず急な長い坂を走り大学に
通ったものだった。お金も助手席に座る女性もなかったけど、
とりあえず時間だけはふんだんにある。
今になって思えば羨ましい時代だ。
そうこうしているうちにナビが目的地を示す。
おう、噂に違わずお客さんがいっぱいじゃないか。
早速店内に入り、食券を求める。「支那そば」を
押しかかけたその手が一度止まる。
「特製ワンタン入り」・・・肉2、エビ2 4個のワンタンつき・・・
気が付いた時にはもう、それを店員に渡していた。
あいにくの満席で、席が空くまで店内で待機。
仕方がない…と店内をゆっくり見回す。
静岡のお店のような庶民的な雰囲気ではないが、大正ロマンを
現代風にアレンジした店内は、シックでオシャレだ。
懐かしさと新しさが同居する
この空間で味わう特製ワンタン入りの支那そばは
どんな味がするのだろうと期待が膨らむ。
カウンターのカップルが食事を終え、その席に通される。
さぁ、こい、支那そば、忘れたはずのあの味が、
もう一度流行っているのだ。どうか期待は裏切らないでくれ。
もうそれは同窓会で初恋相手と会うべきか、
会わずに去るべきか悩む心境のそれと同じである。
あぁ、どうしよう!!と同窓会の会場の出口にさしかかろうとした
その時、現れた。
「どうぞ、ごゆっくりお召しあがりください」
「支
「支那そば」だ。
まずは一口スープをすする。強烈なパンチはないが、
舌の上で転がすようにゆっくり味わうと、あっさり醤油の向こう側から、
風味とコクが顔を覗かせる。手招きするように喉を鳴らしてスープを
豪快に味わう。
そう!これだ。これこそ、支那そばだ。麺をすする。
シャツにスープが飛び散ろうと一向に構わない。
とにかくすする。勢いよくすする。
そう、そう、そう。まっすぐな麺に寄り添うような
スープの絡み具合が絶妙なのだ。
「てるてる坊主」のようなワンタン。
これはまたうまそうだ。
もう口の中が火傷してもいい。
スープと一緒にまずは半分思いっきり頬張る。
ハウハウと音を立てながら、肉汁とスープが絡み合い、
これがまた美味い。
エビの方もまた然り。
よかった、初恋の人が思ってた通り、いや思っていた以上に美しくて…
随分尊大だがそんな思いで一杯の支那そばを平らげる。
お腹も心も満腹になったところでふと思い出す。
「支那そば」とラーメン、あと「中華そば」って何が違うのだろうと。
調べてみると、実はこの3つ、時代によって呼び方が違うだけで、
同じ食べ物だそうだ。つまり、現代においてどう呼ばせるかは
店主次第というわけだ。
まぁ、そんなことは、どうでもよかろう。
美味しいは勝者だ。
しかし、今度はいつ思い出すのだろう。
次はシンプルに「支那そば」で勝負してみようかな。 満足、満足。