2018年08月03日
夏の宿題
8月に入った。
およそ40日の夏休みも残り3分の2。
子どもたちは夏を謳歌していることだろう。
その反対に親サイドからは
まだ3分の1しか終わっていないの?
という感覚だろうか。
同じ時間の流れでも親と子ではこうも違う。
子どもの頃、8月に入るとすでに
「夏の寂しさ」が漂っていた。
休みはまだ30日近くあるのに。。。である。

8月の昼は意外と静かだ。
7月まであんなに賑やかだったクマゼミも、
残暑見舞いの頃には鳴かなくなる。
入道雲の映える青空も、8月に入ると
どこか少し秋色が差し込み始める。
遠くから聴こえる青年会エイサーのパーランクーの音。
街の夏祭りの準備で近所の公園に櫓が建ち始めると
私の中で夏休みはもう終わりを迎えていた。
学校が嫌というわけでもない。
勉強だって特にキライじゃないし
人間関係も普通だった。
「休み前」「まだまだ休みがある」という
「高揚感という空気」が薄れていくことで
日々“酸欠”気味になっていたのかもしれない。
あるいは、夏の“切なさ”を感じることができる
“大人”の自分に少し酔っていたのか?
40近くになっても未だにその解は
見つからないが、1つだけハッキリしていることがある。
今でも一番楽しいのは
華の金曜日であり、
長期休暇の直前である。
「三つ子の魂百まで」なんて言えば
簡単なだが、最近はこう思うようにしている。
「一生かけて向き合う夏の宿題」なのだと。
およそ40日の夏休みも残り3分の2。
子どもたちは夏を謳歌していることだろう。
その反対に親サイドからは
まだ3分の1しか終わっていないの?
という感覚だろうか。
同じ時間の流れでも親と子ではこうも違う。
子どもの頃、8月に入るとすでに
「夏の寂しさ」が漂っていた。
休みはまだ30日近くあるのに。。。である。

8月の昼は意外と静かだ。
7月まであんなに賑やかだったクマゼミも、
残暑見舞いの頃には鳴かなくなる。
入道雲の映える青空も、8月に入ると
どこか少し秋色が差し込み始める。
遠くから聴こえる青年会エイサーのパーランクーの音。
街の夏祭りの準備で近所の公園に櫓が建ち始めると
私の中で夏休みはもう終わりを迎えていた。
学校が嫌というわけでもない。
勉強だって特にキライじゃないし
人間関係も普通だった。
「休み前」「まだまだ休みがある」という
「高揚感という空気」が薄れていくことで
日々“酸欠”気味になっていたのかもしれない。
あるいは、夏の“切なさ”を感じることができる
“大人”の自分に少し酔っていたのか?
40近くになっても未だにその解は
見つからないが、1つだけハッキリしていることがある。
今でも一番楽しいのは
華の金曜日であり、
長期休暇の直前である。
「三つ子の魂百まで」なんて言えば
簡単なだが、最近はこう思うようにしている。
「一生かけて向き合う夏の宿題」なのだと。
Posted by 大城勝太 at 06:00│Comments(0)
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