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FM沖縄アナウンサーとして、産業カウンセラー・キャリアコンサルタントとして、 そして食いしん坊として
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2010年01月24日

名護市長選挙!

今日は名護市長選挙です。
立候補を表明しているは二人。

辺野古への移設計画に反対している無所属新人
名護市長選挙!
稲嶺ススムさんと

容認姿勢の無所属現職
名護市長選挙!
島袋ヨシカズさん

午前10時現在の投票率は9・29%で、2006年の前回選挙を2・81㌽
下回っているそうですが、有権者の約3割に当たる1万4239人は既に
期日前投票を済ませているということで、ちまたでは70%台後半で投票率は
推移するとみられているそうだ。(共同通信より記事配信)

今朝のあるラジオ番組で耳にしたのですが、現職と新人の両陣営が
故岸本建男元市長の後継をめぐり微妙な駆け引きを展開。
キャスターのよると岸本氏の人気にあやかりたい思惑があるという。

ここで岸本さんを振り返りたい。
故・岸本建男さん。
名護市長選挙!
1998年から2006年まで市長を務め、1999年苦慮の末に
「15年使用期限付きの軍民共用」などを条件に同市辺野古への移設容認を表明。
しかし日米両政府が合意し直した現行の沿岸案は集落に近すぎるとして反対。
後継の島袋吉和氏(63)にバトンを渡した直後の06年3月に亡くなり、
島袋氏は4月に現行案を受け入れた人物である。

今回の市長選に移設反対を掲げ立候補した前教育長稲嶺進の陣営は
「島袋氏は市議会に相談もせずに受け入れた。経緯が不透明だ」と批判。
もともと岸本氏がまず後継を打診したのは稲嶺氏だったが、
当時は家庭の事情などから断念したという経緯もあったそうだ。
そういうこともあって今回、稲嶺陣営の総決起大会では登壇した岸本氏の
妻能子さんが「基地をなくすことは建男の長年の夢だった。移設が断行される時に
最初の逮捕者になってもいいとまで言っていた」と涙ぐみ
「生きていたら稲嶺さんを応援していた」と強調。
長男で名護市議の岸本洋平さんも稲嶺陣営に加わっている。

こうした動きに島袋陣営は
「筋違いも甚だしい。建男さんが生きていたら困るだろう」と反発。
前回の市長選では島袋氏が「前市政の継続」を掲げ初当選、
岸本氏は選対本部長を務めていた。島袋氏は今回、能子さんから贈られた
という赤いネクタイを着けて集会に出るなど〝正当な後継者〟としての
イメージ戦略にも気を配った。

両者とも「後継」をめぐり微妙な駆け引きを展開した今回の選挙選ですが
岸本さんは、名護市の若手職員だった1970年代、「逆格差論」を唱えた人物。
経済的尺度によらず自然や伝統、文化を財産ととらえた。
つまり、県内の他地域や本土との格差を逆手に取り、
地元の真の豊かさを問い直そうとした。
保革を超えて愛された岸本氏の胸の内には「自立経済の願い」があった。
後継にこだわらず、その願いをかなえるための扉を開く結果を出してほしい。
そう思うのは私だけだろうか。



Posted by 大城勝太 at 11:06│Comments(0)
 
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