「いま」「ここ」を大切に。
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2012年01月18日

一朝入魂(295)手をあわせよう

仕事で行き詰まって、ふと手を合わせ天を仰いだ。

30年間以上生きてきて初めて気が付いたのだが
手をあわせると、その中心はほんわかと温かい。
その手の温もりを感じた途端、何だか心が落ち着いてきた。

更に目を瞑ると集中力が増し安心感が増す。
もう大丈夫!(b^ー°) 頑張れる!と何気なく目にした
新聞のスクラップ。

偶然にも手をあわせると安心するメカニズムが説明されていた。
本当は別の記事が必要でコピーしていたものだ。

その記事によると、手のひらは少し凹んでいて、合わせると中に
空洞ができる。この空気を通して体温が感じるのだそうだ。

手のひらを意味する「たなごころ」の語源は「手の心」という説が
あるそうで、手をあわせ目を閉じることで自分の内面を客観的に
見つめる機会となるのではと書いてある。天からの情報提供なのか?
あまりのタイミングに驚かされる。

無神論者は別として、私達は仏様、キリスト様、先祖様に手を合わせ
て祈りを捧げている。そう考えると、「祈り」とは、まず己が生かされて
いるというぬくもりを感じ感謝することから始まるのかもしれない。そして
自分と冷静に向き合うことが求められる行為である。それが出来ない人
に神を信じる資格はないのかもしれない。

手を合わせ祈る前に、天を仰ぐ前に、私は何をしたのだろうか?
神の御顔を汚すようなマネはしていないか・・・人事は尽くしたのか。
天命を前に考えることはたくさんある。


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