「いま」「ここ」を大切に。
FM沖縄アナウンサーとして、産業カウンセラー・キャリアコンサルタントとして、 そして食いしん坊として
日々の生活の「気づき」と「学び」と「食の備忘録」を魂込めて書き残します。
てぃーだブログ › 大城勝太の一朝入魂 › 表現の部屋〜ことば編〜 › 「◯活」〜表現の部屋(12)〜

2018年12月06日

「◯活」〜表現の部屋(12)〜

さて、平成最後の師走。今年は平成を総括する特集が多く見られる。
先日このブログでも、流行語大賞から考える多様化時代の幕開けなる
記事をアップしたが、今日は平成に日の目を見た表現を取り上げたい。

それは「〇〇活」という言葉。
私がこの言葉を初めて耳にしたのが大学時代。2000年代前後だった。
教育学部に在籍しており、教員免許取得のため教育実習の準備に取り
組んいた頃、経済系の学部に在籍していた友人がまさに「就活」中
だった。

その後、婚活、妊活、朝活、などなど、色々な「〇〇活」が生まれ
たが日本人はいつから「〇〇活」に励むようになったのだろうか?
「◯活」〜表現の部屋(12)〜

もちろん、「活」という漢字の持つ利便性の高さ(「活動」と言わず
とも、意味が容易に想像できる)も自然に「◯活」が受け入れられた
要因の一つであろう。

しかし、なんかそれだけが理由ではない気がする。
と、いうことで「活」という字の意味を考えてみる。

〖活〗 水が勢いよく流れるように動く。働く。生きる。生かす。
気絶した人の急所をついたりもんだりして生きかえらせること。
転じて、元気を失った人に元気をつけること。



辞書をパタんと閉じて、ふと、考えた。

バブル経済が崩壊し、不安定、不確実、複雑、曖昧さが社会に蔓延
したのが平成という時代。その中で「勢いよく流れるように」活動しな
ければそれらを突破できない。しかも、昭和の時代と違い、敷かれた
ルートに乗っかれば安泰という時代でもない。一つ「活」を突破しても、
次の「活」に取り組まなければ、すぐに不安定、不確実、複雑、曖昧の
荒波に飲み込まれてしまう。そんな危機感が「◯活」の始まりだった
のではないだろうか。

次の世代にも「◯活」は残るのか。
新たな形で発展を遂げるのか注目したい。


同じカテゴリー(表現の部屋〜ことば編〜)の記事

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。